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豊中市(とよなかし)は、大阪府北部の北摂地域に位置する市。
大阪都心から15km圏内にあり、大阪都市圏の近郊都市、ベッドタウンとして、昭和30年代から千里ニュータウンの開発が急速に進んだため、下水道などの都市基盤設備(インフラストラクチャー)の整備率は高い。交通面でも、阪急電鉄、北大阪急行電鉄と阪急バスによる公共交通網、中国自動車道
、名神高速道路、阪神高速池田線、新御堂筋をはじめとする幹線道路網、それに市北西部の大阪国際空港(伊丹)の存在など、至便の地である。交通については後述。
概ね、阪急宝塚線の旧豊中エリア、地下鉄御堂筋線の延長である北大阪急行電鉄の千里地区に分けられる。高中級住宅地の北部、旧市街地の中部、商工業地の南部に分かれる。北東部の一角を日本初のニュータウン、千里ニュータウンが占める。
平成13年(2001年)4月1日、「地方分権一括法」によって「特例市」に移行した。
- 豊島(てしま)の名が文献にみられるようになったのは和銅5年(712年)太安万侶が撰上した古事記中巻からで、その後、神護景雲3年(769年)称徳天皇が豊島の人15人に姓(カバネ)を賜わった記録が続日本紀にみられる。
- 明治維新を迎え、廃藩置県後、村々の行政機構は改革され、数次にわたる行政区画の編成替えなどが行われた。明治22年4月、地方自治制がしかれ、摂津国豊島郡新免村(てしまぐんしんめんむら)、南轟木村(みなみとどろきむら)、山ノ上村、桜塚村、岡町村の5ヵ村を合併して豊中村が置かれた。「豊中」の地名が生まれたのはこのときで、豊島郡の中央にあることから名付けたと伝えられている。
- 年表
- 神護景雲3年(769年) 5月 称徳天皇が豊島の人15人に、姓(カバネ)を授けた。(続日本紀)
- 弘仁6年(815年) 万多親王らが撰進した新撰姓氏録には、当地方の氏族として椋橋部連・天神・服部連・豊島連などの名が記されている。
- 荘園時代には、椋橋荘、原田荘、服部荘などができる。
- 院政期には豊島地方の多くは藤原氏の私領になり、藤原氏の氏神春日神社とも密接に結ばれた。
- 寿永2年(1183年) 源平合戦のとき、氏長者の近衛基通から春日神社へ寄進され、豊島郡は垂水西牧と呼ばれ、荘園の崩壊後も永く続いた。
- 承久3年(1221年) 5月 摂津国長江荘と椋橋荘の地頭が白拍子亀菊の領地を横領し、これがきっかけとなって後鳥羽上皇と鎌倉幕府の間に溝ができ、承久の乱が起こった。(吾妻鏡、承久軍物語、承久記)
- 建武3年(1336年) 2月6日 南北朝時代に北畠顕家、新田義貞らは摂津国豊島河原において足利尊氏との合戦が展開される。(太平記)
- 寛正2年(1461年) 6月 久米井用水をめぐって、原田郷と川辺郡田能村との間に相論が行われ、原田郷の勝訴となった。
- 1467年〜1477年 応仁の乱には、豊中市域も戦乱のちまたになった。椋橋城などはその代表的なもので、東西両軍が秘術をつくした記録が数多く見られる。
- 戦国時代には刀根山城・勝部城・原田城・西市場城・今在家城・穂積堡など、地主、土豪が相次いで居城を築いたが徐々に姿を消す。
- 天正元年(1573年) 織田信長からその才を認められて荒木村重が摂津一国を与えられる。
- 天正6年(1578年) 11月 荒木村重が織田信長に謀叛をおこす。信長は刀根山城に拠る。
- 天正7年(1579年) 6月 信長に攻められ、伊丹城落城。村重は転々と居城を逃げ回る。
- 寛永3年(1626年) 上新田・下新田の開発が行われる。
- 江戸時代には大名青木氏(1万石)が麻田城を築いて政治を行った。上新田は淀藩の領地、桜井谷には安部藩の陣屋、その他に一橋藩領、保科藩領や代官支配地、公家領、旗本領、天領などが入り組んだ。これは徳川幕府が「入組支配」を行い、統一のないものにするための政策で、このため明治維新後も府県、郡村の離合集散が重ねられた。
- 元禄14年(1701年) 7月 岡町の4料理屋が多くの遊女をおいたので、年寄が差し止めた。
- 文政13年(1830年) 8月 阿波から始まった御蔭踊りの狂乱が、河内、大和、摂津の村から村へと伝わった。
- 慶応3年(1867年) 12月 豊中の各地に社寺のお礼が降った。
- 明治22年(1889年) 4月 町村制施行のとき新免村、南轟木村、山ノ上村、桜塚村、岡町村が合併し、豊島郡豊中村となる。人口2,267人。
- 明治29年(1896年) 4月 豊島郡と能勢郡の合併により、豊能郡豊中村となる。
- 明治43年(1910年) 2月 箕面有馬電気軌道(現阪急電鉄宝塚線)の開通。これを機に急激に発展する。
- 大正 2年(1913年) 5月1日 豊中グラウンド(豊中球場)が開設される。
- 大正 4年(1915年) 8月18日 第1回 全国中等学校優勝野球大会が豊中グラウンド(豊中球場)で行われる。
- 大正 8年(1919年) 10月 待兼山に府立大阪医科大学本科が設置される。
- 昭和 2年(1927年) 4月 町制施行。
- 昭和 4年(1929年) 十三-池田間に阪神合同バス(現阪急バス)が運転を開始する。
- 昭和 5年(1930年) 4月 岡町に豊中郵便局が開局する。
- 昭和 8年(1933年)10月 豊中町に都市計画法が適用される。
- 昭和11年(1936年)10月15日 豊中町、麻田村、桜井谷村、熊野田村が合併し、同時に市制を施行して豊中市となる。人口37,733人、世帯数7,977世帯。府下で4番目の市制施行。(大阪府建制番号4)行政区域面積18.18Km2。
- 昭和13年(1938年) 8月 市役所旧庁舎落成。9月 市広報創刊。
- 昭和14年(1939年) 3月 市章制定。
- 昭和14年(1939年) 9月 庄内村が町制を施行し、庄内町となる。
- 昭和19年(1944年) 3月 市立豊中病院開設。
- 昭和22年(1947年) 2月 自治体警察として豊中市警察署が発足。
- 昭和22年(1947年) 3月 中豊島村、南豊島村小曽根村を編入。人口76,314人、世帯数18,020世帯。行政区域面積28.14Km2。
- 昭和22年(1947年) 4月 教育制度の改革により第一、第二、第三中学校を開設。
- 昭和23年(1948年) 2月 豊中市消防本部及び豊中消防署が設置。
- 昭和24年(1949年) 4月 市議会事務局設置。
- 昭和26年(1951年)12月 広報「とよなか」創刊。
- 昭和28年(1953年) 7月 三島郡新田村大字上新田を編入。人口100,631人、世帯数22,484世帯。行政区域面積32.36Km2。
- 昭和30年(1955年) 1月 豊能郡庄内町を編入、現市域となる。人口127,678人、世帯数29,251世帯。行政区域面積36.60Km2。
- 昭和33年(1958年) 3月 米軍伊丹基地が返還され、大阪空港開港。
- 昭和33年(1958年) 5月 千里ニュータウン開発を決定。
- 昭和34年(1959年) 7月 大阪国際空港が第一種空港の指定を受ける。
- 昭和34年(1959年) 9月 関西最初のスーパーマーケットが庄内に開かれる。
- 昭和36年(1961年) 1月 住民登録人口20万人。
- 昭和36年(1961年) 7月 千里ニュータウン起工式。
- 昭和37年(1962年) 5月2日 市役所庁舎(現第一庁舎)完成(落成式)。
- 昭和38年(1963年)10月 サンマテオ市と姉妹都市提携の調印式が行われる。
- 昭和39年(1964年) 1月 住民登録人口25万人。
- 昭和41年(1966年) 2月 住民登録人口30万人。
- 昭和41年(1966年) 4月 千里ニュータウン構想に基づき新千里北町が完成。
- 昭和41年(1966年)10月 市制施行30周年、キンモクセイ、バラが豊中市の木と花に決まる。
- 昭和44年(1969年) 5月 猪名川ショートカット完工。
- 昭和45年(1970年) 3月 日本万国博覧会開催(〜9月)。北大阪急行開通。
- 昭和45年(1970年) 9月 千里中央駅開業(北大阪急行電鉄)。
- 昭和45年(1970年) 9月 千里川ショートカット完工。
- 昭和48年(1973年) 11月1日 オイルショックの時に千里ニュータウンのトイレットペーパー特売広告からトイレットペーパー買いだめ騒動(→噂)が全国に広がる。
- 昭和52年(1977年) 4月 人口40万人を超える。
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